とやまおでかけ日記

富山県内を観光客のフリしてあちこち遊びに行って「とやまおでかけ日記」というブログ書いてます。

2024年1月1日〜 1月6日 富山市内にて【能登半島地震の日からの出来事 忘備録日記】

個人的な忘備録として、今回の地震について自分が見聞きしたことを日記に残しておきます。普段のこのブログは「富山県内のおでかけ日記」ですが、流されてしまうSNSだけではなく、ブログに残しておこうと思って。

なのでいつもの日記よりも写真少なめ、文字多め、思いつくがままの文章になります。そしてこの日記はあくまでも私の個人的な出来事・所感です。

まさか大雪に続いて「忘備録」日記を再び書くことになるなんて…しかもこれが2024年最初の日記となるなんて…

  • 2021年1月大雪忘備録日記はこちら

2024年1月1日

午前中

お正月にしては暖かく雪も少ないこともあり、午前中から富山市内を初詣。鹿嶋神社、富山県護国神社、於保多神社…とハシゴ初詣を楽しんでいました。


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護国神社の近くにあるお気に入りベーグル店「とべーぐる」で野菜たっぷりたまごサンドを買って、ハッピーでウキウキなお正月。
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とべーぐるで引いたおみくじは「大大吉」!500円クーポンの大当たり!「また明日も富山市内初詣めぐりの続きをして、とべーぐるでベーグル買おう♪」と、何の疑いもなくお正月を満喫してたのです。

午後から夕方まで

「やっぱりたまには実家にも顔見せようかな…」と年末にふとしたきっかけで思い直し、手土産を持って富山市山間部にある実家へ。コロナ禍以来会えなかった家族や親戚と数年ぶりに再会。小さな子供たちとお正月らしくカルタで遊んでみたり。カルタ大会が一通り終わったらさっさと中心部の住まいに戻る予定でした。そう、夕方にあの揺れが来るまでは…

地震発生

子供の頃以来のカルタ遊びを子どもたちと遊んでいると「ガタガタッ」と何かが揺れる音。

「屋根雪じゃない?」なんて呑気なことを言ってみたものの、今年は雪のない正月。落ちる雪もない…

「なんか揺れなかった?」と家族がざわめきだすと、いつの間にかテレビ画面が緊急ニュースに切り替わり不穏なアラーム音が鳴り響く。そして各自のスマホも緊急地震速報のアラーム音。

「え?これやばいやつ?!」「テーブルの下に頭を隠して!」

気づけば家族親族全員、テーブルの下に大集合。「ガシャン!」「ガシャン!」と戸棚の物が倒れる音が聞こえる度に怯えてる家族たち。この揺れは大きい。いつになったらおさまるのか?まだ?まだ揺れるの?「怖いー!」と叫ぶ家族たちに「落ち着いて!落ち着いて!」と呼びかける私。小さな子どもが怖がらず無邪気に冒険ごっこ感覚で笑ってたのは救いでしたが、大人たちはビビりまくり。

長く感じられた大きな揺れ。おさまったのか?まだ続くのか?家族の一人が「外の様子見てくる!」と玄関を飛び出す。「え?こんな時に?危ないよ!」と止めてももう行ってしまった。「なんかみんな外に出とったわ!」と言いながら戻ってきて「なんでこんなときに外に出るの!」と小競り合い。そうこうしてるうちにまたテレビから緊急地震速報の音!そして揺れ!

テレビでは「大津波警報」の文字。「テレビを見てないで逃げてください!」とアナウンサーの力強い声。「え?逃げるってどこに?」と騒めくものの、「ここは海岸から離れてる山間部だから、富山湾から津波が来ることはまずないよ。下手に動かない方がいい」と話し合い、そしてテレビを見てると…またスマホの緊急地震速報のアラームが鳴り響く!

「キャー!」と叫びながら再びテーブルの下に全員集合。「いつまで揺れるの??」「もういやだー!」と怯えっぱなしで、カルタもなにも出来ない状態。

ファンヒーターやボイラーは安全装置が働き停止していた。コンロはIHなので火は使ってない…と揺れがおさまってる合間に火の元を確認。エアコンは動き続けてる。つまり停電にはなってない。

「大津波警報」という尋常じゃない文字が大きくテレビ画面に映ったまま。私の脳裏に2011年3月に見たニュース映像が浮かんできます。「津波…富山にも津波?!怖い!津波って富山市内のどこまで来るんだろう…??そんなの体験したことないからわからない…」

余震も警報も止まず、いつの間にか日も暮れて外は真っ暗に。「中心部へ帰るのなんか怖い…山間部にいた方が安心できそう…」とポツリつぶやく私。

急遽、実家で元旦の夜を過ごすこととなったのです。

そして夜中も

「電気や水道が止まっとらんでよかったちゃ」と話す家族。夕食も食べて少し落ち着いてきたら、地震の状況を知りたくてテレビニュースを見ながらツイッター(現 X)検索。

NHK総合だけではなく、Eテレも民放も、どのチャンネルに切り替えても地震ニュース。事態の深刻さがテレビから伝わってきます。新春恒例の格付けチェックも放送していない。

そしてツイッター検索すると…津波が押し寄せる海辺、天井からの落下物が止まらないファボーレ、水浸しになり逃げ惑う大勢の人でパニック状態のアウトレット…背筋が凍る動画ばかり。

昨年の元旦はファボーレでお買い物してたことを思い出し、ゾッとしました。

「ねぇ?まだ揺れてる?」と尋ねてくる家族の一人。揺れてなくても揺れてるような気分になってしまったようで。

布団に入って眠ろうにも、揺れては目が覚めるの繰り返し。外では何か富山市からの案内がスピーカーで流れてるけど、ハウリングしててうまく聞き取れない。

「眠れないときでも、布団に入って横になるだけでも身体は回復する」という中学校時代の恩師の言葉を思い出しながら、ウトウトしては目が覚めて揺れて…を繰り返してました。

2024年1月2日 

一夜明け、朝

よく眠れないまま朝に。大津波警報は注意報に変わっていて、少しホッとしたような。

頭がぼんやりしつつも、昨日帰宅するはずだった自宅のことが気になります。私の家、どうなってるんだろう??皿とか割れて花瓶もひっくり返って、米も植木鉢も床にひっくり返ってたらどうしよう…

朝の時点で鉄道は動いてませんでしたが、バスは通常運行だと分かり、バスを使って帰宅することに。

スマホの充電も残り少ないので、電源オフして帰路に着くのでした。

昼前、富山市中心部に戻る

バスの車窓から見える景色は、日差しが降り注ぎ晴れて穏やかで。昨夜の大騒ぎが嘘か幻だったかのように思えてきます。

しかしバス停から降りて街中を見渡すと…壁のタイルが崩れている建物、隆起して凸凹になってるアスファルト、不自然な土埃の跡がある道…よく見ると地震の爪痕は残っていました。

しかし、その爪痕も…意識してよく見ないと気づかない。街を歩いてると、いつもの平和な正月休みそのもので。そのギャップに少し気持ち悪さを感じたり。

自宅の中は、なかなかの散らかりっぷりでした。棚に上げてた物はほとんど落下。花瓶も倒れて床には水溜り。皿も数枚割れました。

部屋に散らかった書籍や日用品を見て、しばらく呆然。テレビは棚から落ちてたものの破損はなくてよかった。ポインセチアの植木鉢だけはなぜか落ちることなく棚の上に乗ったままだったのが不思議。

気を取り戻すかのように散らかったものを一つ一つ拾っては元に戻し、皿の破片を片付けて、掃除もして…部屋の状態は回復したものの、昨夜の揺れとテレビニュースのショックがまだ抜けきれず、ぼんやり。

「あ!スマホの電源切ったままだった…」と思い出し充電ケーブルにつなぎスマホの電源をオンに。すると知人友人からの安否確認メッセージや着信が。「わわわ!早く返さないと!心配されてるかも…」と慌てて返信作業。

「あけましておめでとう!…って言ってもいいんですかね?」と微妙な新年のご挨拶になってしまうとは。

なんだか疲れたので、ぼんやりテレビを眺めてると…夜が明けて判明してきた各地の被害情報映像が次々と映し出されて。家屋や建物が倒壊し、断水のため給水所に行列ができ、混雑する避難所に集まる人々…そして燃えてしまった街の姿、寸断された道路も。北陸だけに行ったことのある知ってる場所も多く、その変わり果てた姿に胸が痛んできます。

「私は物がひっくり返ったくらいで、家もあるし電気も水道も使えてる。周辺は変わった様子も特にない。なんだか申し訳ない…」

どんどん気が滅入ってきたので、テレビを切って散歩することに。

富山市中心部を散歩して見たものは

気分を落ち着けたくて、来たのは環水公園

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行き場を失った(?)外国人観光客があちこちではしゃいで記念撮影していました。外国語ばかり聞こえてくるので、まるで異国のよう。

この風景だけ見ていれば、今日は晴れたお出かけ日和のお正月休みなのに。

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地震により、天門橋の展望台は使用不可でした。

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昨夜のニュースで気になってた富山市役所周辺。アスファルトヒビ割れたり、隆起したり。


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松川べりではお正月返上で道路での対応作業に追われてる姿もありました。

危険な箇所には三角コーンが設置。

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NHK富山放送局前。きとっピは無事でした。

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放送局も正月休み返上で報道に対応してるようで。大変なお仕事だと思います。

そして過去に勤めていた職場で聞いた「災害は休日にやってくる!」という名言をふと思い出しました。

飲食店の窓辺には倒れたままの瓶。

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富山県民会館前。デジタルサイネージではブタとカエルがパスポートの話をしてました。なんだかほのぼの。
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富山県庁内は明かりがついていました。お正月返上で対応作業に追われてるのでしょう。
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サンシップとやまのガラスが抜け落ちてました。ガラスの色ではなく、空の色になってる。
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富山県警横の松川べりの通路は通行禁止。回り道して歩くことに。
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街中は人も通る車もまばらで、妙に静かに思えました。

富山駅はニュース通り、新幹線の運行再開を待ち、みどりの窓口に並ぶ人で溢れてました。


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あいの風とやま鉄道は一部動き始めたよう

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地鉄の鉄道は終日運休。市電は動き出してました。
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バスは普通に動いてるようで。パッと見たところ何かが起きたなんて思えない風景。
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富山ステーションシティ(マリエとやま・とやマルシェ・マルート)は初売の予定でしたが、臨時休業。
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なので富山駅はおみやげ処とセブンイレブン、ロッテリアくらいしか営業してなくて。食事するお店がなく彷徨う人も見かけました。

セブンイレブンの店内も惣菜コーナーは入荷が遅れてて品薄。とはいえ何もかも品薄というわけでもなくお菓子や飲料はまだ十分にあるようでした。(1/2 夕方の時点)

アルビスエスタ店は営業中でしたが…

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マリエ側の通路は封鎖されてました。

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「今のうちに買えるものを買っとこう」と思い、そのままアルビスで新年初のお買い物。新年初の買い物が買い出しになるなんて…

お惣菜コーナーは品薄で「鮨飯」だけがパック入りで並んでた光景は衝撃でした。

品薄だったのは惣菜くらいで、生鮮食品も日配品も十分に揃ってました(1/2夕方の時点)

とりあえず非常用にカップ麺、牛乳(大雪の時、牛乳がなかなか手に入らなくなったので) 、クラッカーや飴、今晩の夕飯にフクラギのお刺身(お刺身食べたかったから)、カットキャベツとチキンカツ(カレーと一緒に食べよう)を買った。ポイント5倍デーだし、ちょっと多めに買ってもまぁいいか…なんて。

レシートを見ると…合計2,222円でした。f:id:ai110-12368:20240103085423j:image

大丈夫。なんかいいこときっとある。レシートが励ましてくれてるかのようでした。

帰宅してテレビをつけると…次は羽田空港で機体が燃えている衝撃映像が。被災地に物資輸送しようとした海上保安庁の機体が、羽田に着陸する旅客機に衝突という信じられないニュースが流れる。年明け早々から次々と起こる大災害に大事故。2024年の幕開けが衝撃的すぎる。本当に今はお正月三が日なんだろうか?

時折余震でグラリと揺れながらも、とりあえず私は夕食をいただき、お風呂に入って布団に入った。これがどれだけ幸せなことなんだろうか…と考えながら。

1月3日

テレビニュースを見るのが苦痛に

正月休み最終日とはいえ、何もする気持ちになれず。

余震も定期的に訪れ、熟睡できない日が続く。正月休みに読もうとした本も積んだまま。どんどん明らかになっていく被害状況を伝えるテレビニュースを見ることも苦しくなってきた。

翌日からの仕事始めが憂鬱になってきた。散乱した職場の片付けから始まるのかと思うと気分も重くなる。

友人とのLINEや電話での連絡で気を紛らしたり。正月休み中の予定もキャンセルになり、延期の予定も現段階では組めない非常事態にため息をつく。

それでも暖かく部屋で十分な食事もできるだけでも私はとても幸せなんだ…と自分に言い聞かせていた。なんだかやるせない気分で苦しくなるけれど。

楽しみだったテレビ番組「ゆるゆる富山遺産」を見て楽しんではいたものの「あのお店は無事だったんだろうか?」とつい心配になってしまう。もし地震がなければ、よぎることもなかった考えだ。ただ笑って見てられたのに。

1月4日

朝ドラ「ブギウギ」でのシンクロ

新年初回の朝ドラ「ブギウギ」の舞台が富山県高岡市だったことは何の奇遇なんだろうか。しかもドラマの中では富山大空襲に襲われた人々が避難のために高岡の宿に集まるシーンで。

高岡の伏木からの被災状況も連日ニュースで伝えられる中でのドラマ展開に、つい心苦しくなる。

昨年末にもドラマ内で「富山の高岡に慰問へ…」というセリフがあったけれど、年明けに現代とシンクロする展開になるなんて思いもしてなかった。

職場の状態に拍子抜け

「どれだけ物が散乱してるんだろうか…」と覚悟して出勤したところ、何一つ落ちている物はなくて拍子抜けしてしまった。

机の上に置いていた文具も書類も、年末の仕事納めの日のままで。机の引き出しが飛び出してたくらいで、片付けるものや拾う物はひとつもなく。そのまま通常の仕事始めとなった。

誰かと顔を合わせれば「地震大丈夫でしたか?」が新年のご挨拶とセットになってた。話を聞いていると同じ富山県内・富山市内でも被害状況は様々で、揺れただけで何もなかった人もいれば、家のものの多くが破損しショックを受けてる人もいた。

迂闊に「明けましておめでとうございます」と言っていいものか戸惑い、「本年もよろしくお願いします」とだけ挨拶してしまう。本人が無事でも親族や知人友人が被災してる人もいるかもしれない。

職場柄、県内の震災影響の話題があちこちから聞こえてきて気が滅入ってしまう。月初の仕事もあるのに集中できずに捗らない。つい「早く帰りたい」のフレーズが頭の中でぐるぐるまわり、ため息ばかりついてしまう。

いつもは欠かさず見ている「ニュース富山人」を見る気持ちにもなれず、仕事帰りは気晴らしにマルートで買い物してみたり。気が抜けたまま、何も手につかないまま1日が終わった。

1月5日

立山連峰がきれいな晴天で

この日は朝から晴れていて、立山連峰がすっきりきれいに見えた。きっと氷見や伏木からも海越しの立山連峰が見えていただろうけど、現地でそんな余裕のある人はほとんどいないのかもしれない。

朝ドラ「ブギウギ」では高岡で歌うスズ子、そして金沢を飛ばして福井へ慰問へ行く話をする楽団のシーン。このタイミングで北陸の地名がオンパレードの朝ドラ。地震さえなければ、もっと素直に喜べたのかもしれないのに。

地震の影響で元旦から多忙となった友人や知人もいて「がんばれ!」と励ましのメッセージを送ったりするものの、そんな自分自身も気落ちしててそこまで元気と言えるわけでもない。複雑な感情を抱えながら「早く帰りたい…」と窓の向こうの青空を見ながら職場で過ごす1日で。

この日もまた仕事帰りにマルートへ。富山駅はすっかり落ち着いていて、混雑してる様子はもうなかった。訪日外国人もちょこちょこ見かけて、こんな時にも富山に来てくれてありがたい…としんみりしてしまう。

1月6日

三連休初日・買い物三昧

早朝からの揺れで目覚める。いつまで揺れに怯える日々が続くのだろう。午前中の予定を済ませた後は、ストレス発散も兼ねてマルートやとやマルシェで買い物三昧。

震災の影響で2日の初売とポイント5倍デーが中止されたため、ポイント5倍デーが6日に変更したため、買い物熱が高まる。

無印やマツキヨで日用品を買ったり、三連休中に会う親戚への手土産も買ったり。気分を上げるために久しぶりにマルートで外食もしたり。富山県産スルメイカのパスタは美味しかった。

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マルートを含み駅周辺は買い物客や若者が多かった。もしかしたら地震で破損したものの買い替えに来てる人も多いのかもしれない。三連休初日のポイント5倍デーはまさにタイムリー。防災グッズも品薄だった。

マルートだけではなくファボーレにも行った。地震のあった元旦、天井から落ちる落下物の映像にショックを受けたあのファボーレに。

ファボーレは落下物のあった太陽の広場は立入禁止になっていたものの、ほとんどの店舗は通常営業だった。二十歳の集い帰りのテンション高めの若者たちも溢れていた。いつも通りの休日のファボーレだった。

 

1月7日以降も書き残したいことがあれば、追記するかもしれません。